原麻里子 アナウンサー、社会人類学者、慶大講師、元テレビ朝日アナウンサー、元BBCワールドサービスプロデューサー、ケンブリッジ大学院論文修士 info@haramariko.com twitter id @haramariko
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カテゴリ:ケンブリッジ大学( 44 )

ケンブリッジ大学の女子学生今昔物語

 ケンブリッジ大学が英国のメリトクラシーにとって重要な機関であるからには、女子学生のことも見てみなければいけない。

 ケンブリッジ大は女子学生が多い。 2003-4年度の学生数は(教育学部とcontinuing educationは含まれない)、学部の男子学生6015人、 51.2% 女子学生5735 人48.8% 計11751 人であり、大学院生は男子 3307人 55.4% 女子2660 人44.6 %計5967人。総計男子 9322人、52.6% 女子 8395人 47.4% 総計 17718人である。女子学生が約半分である。

 しかし、長年、大学は女性を大学から締め出してきた。ケンブリッジ大の女子学生の歴史を見てみよう。1869年、エミリー・ディヴィス(Emily Davis)が女性のためのカレッジであるガートン・カレッジを創設した。現在、ガートン・カレッジは共学である。

 1897年と1921年、女子学生に男子学生と同じステータスを認めるという提案が行われたが、これは認められなかった。1948年まで、女子学生は男子学生と同じコースをとり同じ試験を受けても卒業式には出席すること許されず、"titular" degrees(「肩書きのみ」の学位)しかとれなかった。1948年、最初の名誉学位が女性に授けられた。 即ち、ケンブリッジは1948年まで正規の女子学生を認めなかった。

 1998年7月の第一土曜日、私はセニット・ハウス(評議会議事堂the Senate-House)前のケンブリッジ大学出版会の書店まで出かけた。ケンブリッジ観光のメインルートである、歴史のあるカレッジが並ぶキングスパレードを歩いて、セニット・ハウス(評議会議事堂)の前まで来たら、バス数台に分乗した、黒いアカデミック・ガウンを着た老齢の女性達に出くわした。様々なエスにシティーがいる。彼女達はバスの窓から私たちの方を見て、ニコニコしている。
 
 実は、この日、女性のカレッジであるニューナム・カレッジがかつてのケンブリッジ大の卒業生のために卒業式を主催したのであった。50年以上前にケンブリッジを卒業した400人以上の元女子学生がニューナム・カッレジに女子卒業生に学位が認められた50周年のお祝いとセニット・ハウスで行われる長い間遅れた卒業式に出席するために集まった。インドネシア、イスラエル、ニュージーランド、ジンバブエから来た卒業生もいたという。

 卒業式のときは、天候にかかわらず、新卒業生は黒いアカデミック・ガウンを着て、カレッジからセニット・ハウスまで歩くのである。ニューナム・カッレジからセニット・ハウスまで歩いたら、私でも20分位かかるので、かつての卒業生達はバスで移動してきたのであろう。彼女達のとても嬉しそうな顔が印象的であった。今、ケンブリッジ大の学部生の約半分が女性だと思うと隔世の感がある。

無断転載を禁じます。 原麻里子

by anthropologist | 2007-09-30 11:21 | ケンブリッジ大学

コンビネーション・ルーム

 ケンブリッジ大学のカレッジでは、フォーマル・ホールのときも、日常的にも、人々は食事が終わると、コンビネーション・ルームでコーヒーを飲みながら、新聞や雑誌を読んだり、雑談をしたりする。

 コンビネーション・ルーム(自治運営組織・談話室)というのはクラブルームのようなものである。

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   (ウルフソン・カレッジのコンビネーション・ルームで新聞を読む)

by anthropologist | 2007-09-07 13:01 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジは大学町


 ケンブリッジはロンドン北東部約100キロにある大学町である。英国人はローマ人が定着した街を大変自慢にする。ケンブリッジも、AD70年から5世紀初めまで、ローマ人が住み着いた。ケンブリッジは重要な交通の要で市場があった。ローマ人の後は、アングル(アングロサクソン)人、デーン人、ノルマン人が移住してきた。そして、1109年、ケンブリッジは16マイル(約26キロ)離れたイーリー司教の管轄下に置かれ、1200年までに商業の中心地になっていた。

ロンドンのキングス・クロス駅からケンブリッジ駅まではノンストップの急行で1時間弱。シティのリバプール・ストリート駅からも列車が出ているが、急行で1時間20-30分位である。ロンドンの通勤圏内ともいえるので、ロンドンへ通勤する人もいる。車ではロンドンからM25かM11 で1時間30分である。

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ケンブリッジは大学町でありキャンパスはない。ある特定の建物や区域が大学というのではなく、大学の施設は街中に散在して、大学と街の間には境界がない。ケンブリッジは、あふれる 樹木に大きな公園があり、そこでは、牛がのんびり草をはみ、カレッジの庭には芝生やテニスコートがある美しいところである。

b0048021_21523684.jpg   英国の建築には、グリーク、ローマン、ゴシック、ネオクラシカル、テューダー、ビクトリアン、ジョージアンなど様々な様式があり、建築の流行が何度も変わってきた。しかし、ケンブリッジのカレッジの建物は何世紀間に渡って次々に建てられたので、様々なスタイルが混在している。建物のデザインに統一性はないが、英国人はこうした方法こそが継続性を示すものであり、伝統があって格が高いと考えるようである。しかも、英国人は新しいものが好きな上に美しさに囚われてはいけないと思っているということもあり、デザインが醜くともかまわまず、新しいスタイルの建物を建てる。例えば、歴史学部の図書館はピラミッドのようなガラス張りの天井を有する建物である。しかし、私が留学中には、そのガラスの外側の屋根の掃除をすることが出来ずに、その掃除案を募っているとも聞いた。

学部や学科・研究所の建物は現代のものが多く、所謂歴史があって荘厳・素晴らしいとはいうようなものではない。私は自らが所属した社会人類学科を初めて訪れたとき、これが世界に冠たるケンブリッジの社会人類学科かと思うほど、建物の小さな一角を占めているだけであった。

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       (社会人類学科の建物前で同級生と)

写真でよく見られるケンブリッジの荘厳な建築の多くはカレッジ所有である。美しい建物と醜悪な建物が入り混じっているのがケンブリッジである。しかし、どのカレッジも工事をしているのが常というのは不思議である。カレッジが、建物を修理する際には、日本のように、予算を組んで大修繕するのではなく、継続的に少しずつする。従って、古いカレッジはいつも工事中ということになる。

尚、ケンブリッジ大学の学長はエリザべス女王の夫君であるエディンバラ公、ヴァイス・チャンセラー(Vice Chancellor)と呼ばれる副学長はアリソン・リチャード博士(Dr. Alison Richard)で、彼女が実質的な学長である。

無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-28 11:03 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学ー講義中の学生たち


 社会人類学科では、講義中、教員は文献を引用する際には、ここが引用部分であると明確に示す。例えば、[Smith 2002: 48]というように読み上げる。そして、教員によっては、引用文を語るときは、両手を挙げて、人差指と中指を振って、引用文を明確に示していた。学生達は手元にあるリーディングリストを見れば、Smithが 2002年に書いた本か論文の 48ページから引用された文とわかる。予め用意してきたペーパーを読み上げるというような授業をする教員もいた。

 授業を受ける英国人の学生たちは講義内容を完結したセンテンスでノートに書く。日本では、小学生の時に、授業内容を文章でノートを取るのはよくないと習う。ノートを簡潔に上手くまとめるのが頭のよい証拠とされていたが、それとは全く異なる。

 英国の大学教育に関しては、エッセイ、スーパービジョン、プレゼンテーションのみならず、こうした授業のやり方、学生達のノートの取り方からも、教育のあり方の一端がわかる。

  試験の話は別記したが、英国では学生たちはエッセイやセミナールで自分なりのエッセイやペーパーを書くので、講義ノートを丸暗記して、テストを受けるということにはならない。また、それでは、評価が低くなる。

 ところで、9時から始まる1時間目の講義中、私は女子学生がリンゴを齧りながらノートを取っている姿を時々見かけた。社会人類学の2年次以降の授業は、ほぼ全てがセミナールームで行われるが、その部屋は机を置くと、窓辺に座ったりしても、50人位しか座れない。そこでのことである。英国の自由な気風が感じられる。

 私は社会人類学のような文化相対主義的な考え方をする学科だから、古い規範から外れた行動をとる学生も寛容に受け入れられたのかもしれないと思い、他の学部に留学していた人たちにも訊いてみたが、同様なようであった。ただ、古典学を学んだ友人は、講義中にリンゴを齧りながら講義を聴いている学生を見たことはないと云っていた。英国では歴史的に理想的道徳的人間の育成に欠かせないとされてきた古典学を勉強する学生たちだけのことはあるのかもしれない。

 とにかく、授業中、内職や私語をする学生は皆無であった。また、エスケープする学生もいない。勿論、日本のように、授業中、化粧をしている女子学生は皆無。教員が学生の出席を取ることは全くなかった。

無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-23 15:29 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学の教育 セミナー

 ケンブリッジ大学の文化系の学部では、午前中に講義が行われ、午後にセミナーやスーパービジョンが行われる。昼食後、学生たちはセミナーに出席したりスーパービジョンを受けたりする。

 英国の大学では学生たちは1年次から専門科目を本格的に勉強することになっている。英国では学問は方法を学ぶことであって、知識を集めることではないとされているので、数少ないことを深く学ぶ。そして、学生に問題の発見と解決、論理的に論評する力を養成することを目的にしている。その際、特に重要な役割を果たすのが、セミナーとスーパービジョンとエッセイを書くという能動的な学問である。

 ここでは、M,Philのセミナーの例を挙げよう。まず、最初の時間に学生たちにプレゼンテーションの担当が割り振られる。学生たちはセミナーのシラバスに書かれている問題の中から、各自がなるべく興味のあるものを1問選ぶ。

 学生は与えられた質問について調べ、解答を用意する。重要なことは、各自が何かについてまとめるというのではなく、質問に対して答えるという形で文章にし、それを読み上げる形で発表を行う。自分の考えを文章にまとめることによって、言葉の定義から文の構成といった論理・修辞の訓練、そして、発表者のその問題に対する態度を明らかにすることにもなる。従って、日本のようなグループ発表はなく、すべてが個人発表である。


無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-22 11:13 | ケンブリッジ大学

Cambride Express


Cambride Express に、ケンブリッジ在住30年の写真家志村博さんの写真が掲載されています。ケンブリッジ大学の写真も沢山あります!
http://diary.jp.aol.com/ffzuhxwpubbf/

by anthropologist | 2007-07-20 11:01 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学詣で

 ケンブリッジ大学は国際的知識システムの中核に位置している。研究者たちは高度な研究や「再研修」を行うために中心大学に移動する傾向がある。だから、リサーチ・ディグリーを取得した人たちは、海外に在住していても、「ケンブリッジ詣で」といえるほど、大学に帰ってくる。特に、一度、ケンブリッジへ訪問研究員としてきた日本人の先生方は毎夏のようにケンブリッジへ帰って来る。

 ケンブリッジへ行けば、街、図書館、学部、カレッジで、昔の仲間に必ず会う。学問の世界に進んだ人たちにとって、ケンブリッジは巡礼の地であるようだ。ケンブリッジには人と人の接触があり、アイディアの交流があり、知的刺激がある。世界中から研究者たちが自分の新しい発見・知見を持って集まって来る。ここで、彼らは情報を交換し、新しい知見を作って帰っていく。

 ケンブリッジ大学は国際的な知のネットワークの中心的存在として機能するために、卒業生のために、学問的・知的インフラストラクチャー(図書館、学術出版社、実験室など)を整え、使用可能にしている。ケンブリッジから学位を取得した人たちは大学図書館から1回に10冊の本を8週間借りる権利がある。そして、休暇中ならば、カレッジの開いた部屋に泊まり研究に励むことが出来る。ウルフソン・カレッジでは学期中に2回フォーマルホールで食事が出来る。
 
 ケンブリッジは卒業生達が大学に戻ってきた時、リサーチをしやすい環境を整えることで、全世界から情報が集まって来るようなシステムを創るのがうまい。ケンブリッジ大学は知のネットワークの中心的存在として機能するめのサービスは怠らないようだ。

無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-17 16:12 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学  スーパービジョン・システムの将来

 ケンブリッジ大学の学部生は、カレッジが学生を選考して採用するので、カレッジのフェローたちは学生に対し責任感や使命感をもつという。 スーパーバイザーはカレッジのフェローとなり、食事が無料になったり、住居を無料で与えられたりと様々な特典がある。就職や大学院進学の際、推薦状を書くのはスーパーバイザーなので、学生も一生懸命やらなければならない。

 しかし、このスーパービジョン・システムの将来は明るくない。1つは、スーパービジョンを担当するフェローや特定のプロジェクトのために雇用された博士号を取得したばかりのポスドクなどがスーパービジョンに伴う時間と労力をわずらわしく思うようになってきた。特に、就職先を探さなければならないポスドクやフェローにとっては、良い研究論文を書かなければならないというプレッシャーは強い。

 もう一つは、エリート主義的な性格を残すカレッジに対して、政府や政治家は批判的である。 スーパービジョン・システムは、非常に費用がかかるので、これまで、両大学は政府から大学生1人当たりにつき高額の授業料を受け取ってきた。しかし、大学間の公的資金の公正な配分を求めて、スーパービジョン・システムに対する政府の優遇政策は縮小されることになった。

by anthropologist | 2007-07-15 08:43 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学 スーパービジョン

 ケンブリッジ大学とオックスフォード大学に特徴的なものとして、個人指導がある。これを、ケンブリッジではスーパービジョン、オックスフォードではチュートリアルと呼ぶ。

ケンブリッジ大学の社会人類学科の学部生は、各学期週平均2回ずつ、スーパービジョンを受ける。学生はスーパービジョンに備えて、1週間に2本ずつエッセイを書くことになる。最後の1学期、学生は試験勉強を兼ねて、より多くのエッセイを書く。スーパービジョンがあるので、学生は講義には出席しなくても、勉強をこなせる。スーパービジョンは、1回1時間が普通である。グループの学生の人数は、1人から4人など様々で、決まりはない。

 学生はスーパービジョンのためにエッセイを書き、スーパービジョンを受けながら試験に備えていく。学生は授業に出席してもよいし、図書館で調べて自分で勉強してもよい。英国では、大学での専門は何かと訊くときには、「あなたは、何を読みましたか?」と、read(読む)という単語が使用される。この言葉が示すように、学生は大量の本や論文を読むことを求められる。

 エッセイの問題は、スーパーバイザーがセミナーのシラバスに記されたスーパービジョン用の課題や過去の試験問題から適当なものを選ぶ。エッセイを書くことが期末試験のための勉強になっている。学生は与えられた質問に答えるエッセイを書く。その際に、シラバスに掲載されている本をなるべく用いることになっている。エッセイの長さは決まっていない。学生はエッセイをスーパービジョンの前日までに、スーパーバイザーにエッセイを提出しなければならない。

 ケンブリッジには学問書の品揃えの豊富な書店が多い。ケンブリッジの卒業後、私は気付いたのだが、ロンドンへ行くと、学問のポイントだけ書いた書物が多くある。ケンブリッジでも、リーダーと呼ばれるあるテーマに沿った論文や本の抜粋が掲載されているものは置いてあるが、あまり手軽に勉強できる本は売っていない。ロンドン大学SOASの教員に、「ロンドンには、かなりこうしたお手軽な本が多いですね」といったら、その教員は、「そう、私はいつも学生達がこういうジャンクを使うのではないかと怯えているのよ」と話していた。

 カレッジの学部生の勉強部屋を訪ねても、こうした簡単な本を使ってエッセイを書いたり、勉強をしたりする学生はいないようであった。日本のように、インターネットから適当に引用してエッセイの宿題を誤魔化す学生は、皆無とはいえないであろうが、いないようだ。

 スーパービジョンでは、学生はスーパーバイザーとエッセイについて議論をしなければならない。だから、学生がエッセイにいい加減なことを書いたりすると、スーパーバイザーに、言葉の定義を鋭く訊かれたり、内容についての厳しい質問がなされ、徹底的に絞られる。しかし、学生と教員の主張が異なるからといって、学生が自分の思考をきちんと弁護できれば、無理に考えを変えさせたりしない。

 西欧における伝統的教養である弁論・修辞学を習得しなければ、社会のエリートにはなれない。従って、学生達も適当にエッセイを書いて、これらのスキルを磨く機会を失ってはもったいない。こうした教育を今でも個人指導で行っているのは、オックスブリッジだけであるから、選ばれたものだけが受けられるエリート教育ともいえよう。 (続く)

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    (社会人類学科のパーティーで)

無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-14 11:20 | ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学 英語

 英国は英語に厳しい国である。英国では、英語の使い方で、その人物が評価される。ケンブリッジでも、日本人の間で日本人の書いた論文についてよく言われる言葉は・・・、「理科系の教官は、リポートが出来次第、ひったくるように取って読んで、英語を直してくれる。社会科学系の教員は、まあ、論文を読んでくれる。英文学者はとにかく美しい英語で書かれた論文でなければ、見向きもしない」というのである。
 
 社会人類学科でも、ゼミの発表の時に、教官から「美しく書かれている」(beautifully written) という褒め言葉がでる。私は書くのに精一杯なのにと溜息をついた。

 あるとき、大学院生と教員が集まるシニア・セミナーでジャマイカ出身の若手研究者が大変良い発表をし、優秀であるとみなされ、好評であった。英国人の女子学生は、それが不快だったようだ。「彼女ってジャマイカのアクセントが強いわよね」と言う。その言葉には、元英領植民地出身の非白人との差別感も含まれているし、英語が訛っているようなら、そんなに論理的で頭がいいということはないんじゃないのということを示唆している。

 私は、この話を、グラデュエイト・ユニオン(大学院生組合)の英語クラスの先生に話したら、その先生は、「そのジャマイカの学生は優秀なんでしょう」とずばり。英国人の女子学生がそんなことを言うのは、嫉妬心が基であると指摘した。内容が良ければ、アクセントがあっていてもよいということは、外国人に対してもない社会である。

無断転載を禁じます。 原 麻里子

by anthropologist | 2007-07-12 08:06 | ケンブリッジ大学