アナウンサー 社会人類学者 原麻里子@地球村:BBC
2007-09-07T15:34:14+09:00
anthropologist
原麻里子 アナウンサー、社会人類学者、慶大講師、元テレビ朝日アナウンサー、元BBCワールドサービスプロデューサー、ケンブリッジ大学院論文修士 info@haramariko.com twitter id @haramariko
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ロンドン南部に「ブルガリア人の溜まり場」をつくったBBCのテオ叔父さん
http://chelseacat.exblog.jp/7183637/
2007-07-25T09:36:00+09:00
2007-07-26T21:29:11+09:00
2007-07-25T09:36:59+09:00
anthropologist
BBC
私たちはテオのフラットに訪ねた。ほとんど何も物がない部屋に古い洋服ダンスと古いソファが置いてあり、部屋の隅にはビールが積んであった。彼は昼間からウィスキーのビール割を飲み、取材に訪ねた私たちにアルコールを勧めた。
当時、ブルガリアは共産主義政権下にあったので、当然の如く、初めは、彼は大変怪訝そうで、「マルコフの何について知りたいのだ」といっていた。そして、マルコフの死亡を掲載した古い黄色く変色した新聞記事の切抜きを見せてくれた。しかし、訪ねてきたのが若い東洋人2人で諜報機関とは関係がないと思ったこともあるのであろう。彼はだんだん打ち解けて、初対面の私たちに、非常にレンドリーで、フランクに話をしてくれた。
私が帰国後、クリスマスカードを出すと、「ナスのお料理をご馳走するから、遊びに来い」などと、BBCで働くブルガリア人の共通の友人を通して何回も誘ってくれたのに、それを実現できずにいた。2002年3月、テオは77歳で亡くなった。彼の訃報を耳にし、再訪を果たせなかった私は本当に後悔した。彼は一回会っただけの人も魅了してしまうチャーミングな人であった。
彼の人となりは、アナベル・マルコフ夫人が、日刊紙「ガーディアン」に、「ロンドン南部にあるブルガリア人の溜まり場の創立者」というタイトルのリュコフの死亡記事で、美しく、ウィットに富んで書いている。
―リルコフは、恐らく、ロンドンにいる全てのブルガリア人に知られていた。クラッパムにある「テオ叔父さん」の家は、いつも空いていて、豆のスープで有名で、そこに滞在した人は決して滞在費を払わず、フラットは修理されていないので、ぼろかった。でも、テオは多くの淋しい移民たちに新しい人生をスタートするための本物の希望を与えた。
テオは美しいブルガリア語は勿論のこと、英語など3つの外国語を話し料理が大変上手であった。テオは、長年、BBCワールド・サービスのブルガリア語部で働いていた。テオの人生に関する話は伝説的だ。
彼はブルガリア南東部ブルガス州の街マルコ・タルノヴォ(Malko Tarnovo)に生まれた。マルコ・タルノヴォはウストランジャ山脈の北麓、トルコとの国境近くにあたる。父親は建築資材を供給するビジネスを経営していた。彼は中等学校で勉強したが、時々、聖職者になると言っていた。第二次世界大戦中、テオは連合軍側で戦い負傷した。
戦後、ブルガリアが共産主義化されたのに伴い、テオはトルコ国境を越えて、ブルガリアから逃げてきた。その結果、彼の家族は家とビジネスを失い、マルコ・タルノヴォを去るように強いられた。長い間、彼の家族は彼が死んだと思っていた。
テオはトルコ、ギリシア、イタリアの収容所で暮らし、1950年代にオーストラリアへ移民した。そこで、彼はダム建設を助けるプロジェクトで働いたが、交通事故にあってしまう。テオの言葉によれば、「バスが止まらず、私の脚を引っ掛けた」という。テオは右膝から下を失い、補償金を受け取った。60年代初め、彼はそのお金を持って、新しく獲得したオーストラリアパスポートを手にして、ロンドンへ来て家を買った。マルコフ婦人は、これは彼が人生において下した最も賢いお金の使い方であったという。
その後、ロンドンで、テオはブルガリア移民グループのまさに中心であった。彼のお陰で、彼が住んでいたクラッパムは「ブルガリア人の溜まり場」になった。―
無断転載を禁じます。 原 麻里子]]>
マルコフ(BBCプロデューサー)毒殺事件2
http://chelseacat.exblog.jp/7177324/
2007-07-24T10:13:00+09:00
2007-07-25T20:41:39+09:00
2007-07-24T10:13:19+09:00
anthropologist
BBC
「ゲオルギー・マルコフ殺害事件ーブルガリア前共産党政権批判勢力のシンボル」については先日のブログに論文「BBCワールド・サービス」(『ソフィア』)からの抜粋を掲載したが、これは論文に掲載出来なかった部分である。
ブッシュハウス(BBCワールド・サービス)では東側の反体制派の知識人は数多く働いていたが、その中では、ブルガリア語放送で働いていたジョージ(ゲオルギー)・マルコフ(Georgi Markov)が最も有名であろう。
マルコフはブルガリアにいた頃は著名な劇作家・小説家であったが、1969年に西側に亡命し、ロンドンに移ってからは、BBCワールド・サービスのブルガリア語放送のみならず、自由ヨーロッパやドイツの放送局のために働いていた。これらの放送の中で、彼はブルガリアの共産党政権を強く批判していた
マルコフは、特に、当時の指導者であるトドロフ・ジフコフ共産党書記長 の政治を独裁的だと厳しく批判し、マルコフの放送はブルガリアにおける反体制派の活動を鼓舞するものとみなされていた。1970年代に、ジフコフ書記長は閣議会でマルコフのラジオ報道を黙らせたいと語ったといわれる。
1978年9月7日、マルコフはロンドンのウォータールー・ブリッジのバス停でバスを待っているとき、傘に仕込まれていたリチンを体内に打ち込まれ死亡した。49歳であった。マルコフは、傘が脚に触れたとき、突然、右脚の後ろに激痛が走ったが、オフィスへ夜勤に出かけたという。
その前に、マルコフに匿名の電話があり、マルコフに毒を盛ると言われていた。そのため、彼は飲食は親しい友人と一緒の時にしかしなかった。しかし、マルコフは傘が身体にぶつかるといったような些細な偶然には、ほとんど気を使わず、そのまま仕事をして帰宅した。翌日夜までに、マルコフは高熱を出し、3日後に亡くなった。
1989年、私はワールドサービスで働いていた経験を持つ英国人の妻アナベルを訪ねた。ロンドン南部のクラッパムのミドルクラスの住宅街にマルコフ夫人であるアナベルは住んでいた。二人が出会ったのはBBCで二人の間には娘のサーシャがいた。
マルコフ夫人によると、事件の翌日、職場から戻ったマルコフは、いつもどおり、家族3人で夕食をとった。しかし、食事中、マルコフは気分が悪くなったといって席を立とうとしたが、その場に倒れてしまった。彼は高熱が続き容態は良くならなかったので、翌日、妻はマルコフを病院へ連れて行った。マルコフは急性敗血症と診断され、治療を受けたたものの、病状は好転しなかった。熱は下がらず、血圧は低下、白血球は著しく増加。医師たちには、彼の症状は原因不明であった。自然死に見えたという。
その後、マルコフ婦人に紹介され、マルコフが薬を体内に注射されて出勤したときに、最初にオフィスでマルコフに会ったテオ・リュコフにインタビューした。二人の家は徒歩で3分位の距離にあり、日頃から、きわめて親しい関係であった。リュコフによると、マルコフは出勤したとき、脚が痛いといっていたという。そして、その事件を記した小さく折りたたんだ赤茶けた新聞記事の切抜きを見せてくれた。(リュコフはブルガリアから亡命してきた人々にとっては、シンボル的存在であり、また、いつか、彼のことについてブログに掲載する。)
彼の死について調査した病理学者はリチンはすぐに消えてなくなり、病院で調べたときは、リチンによる死は自然死に見えるという。何週間も調査したあと、検視官はマルコフは「非合法的に殺害された」と結論付けた。これはKGBとブルガリアの秘密警察の仕業であると広く信じられてきたが、犯人はだれか分っていなかった。
マルコフの死と前後して、ブルガリア国営放送の元ラジオ編集者ウラディミール・コストフ氏がパリの地下鉄から出てきたところ、同様のリチン弾丸を発射された。しかし、彼は厚手のウールのカーディガンを着ていたお陰で、毒は彼の皮膚に深く入ることはなく、彼は生き延びた。
1989年に、ブルガリアで共産党政権が倒れた後、大量の改造した傘が内務省で発見された。
無断転載を禁じます。 原 麻里子]]>
BBC時代の元同僚 毎日放送伊東正治元アナ
http://chelseacat.exblog.jp/7148631/
2007-07-20T08:16:00+09:00
2007-09-03T19:32:53+09:00
2007-07-20T08:16:44+09:00
anthropologist
BBC
(BBC ワールド・サービス 日本語部の部屋で)
インターネットをサーフィンしていたら、私と同時期に、大阪の毎日放送からBBCワールド・サービスに派遣されていた 元アナウンサー伊東正治さんの英国に関するブログ「やっぱりイギリスが好き!英国想い出スケッチ」にBBCのことを書いていらっしゃることを発見しました。伊東正治さんは、今は、ラジオ局編成部長だそうです。
http://www.mbs.jp/announcer/meikan/ana_9/200107.html]]>
マルコフ毒殺事件ー英国の有名な未解決の殺人事件
http://chelseacat.exblog.jp/7143944/
2007-07-19T16:07:00+09:00
2007-07-19T19:32:28+09:00
2007-07-19T16:07:43+09:00
anthropologist
BBC
今、英国とロシアは、ロシアの元情報将校リトビネンコ氏の毒殺事件を巡って、外交官を国外追放にするというという緊張関係が深刻化している。これはBBCのブルガリア放送のプロデューサーマルコフ氏殺人事件を思い起こさせる。マルコフ氏は東側諜報機関によって毒殺されたといわれていた。スパイ小説さながらの事件であった。
ゲオルギ・マルコフーブルガリア前共産党政権批判勢力のシンボル
ブッシュ・ハウスでは東側の反体制派の知識人は数多く働いていたが、その中では、ブルガリア語放送のスタッフであったゲオルギ・マルコフが最も有名であろう。
マルコフはブルガリア時代は著名な劇作家・小説家であったが、一九六九年に西側に亡命。ロンドン移住後は、ワールド・サービスのブルガリア語放送のみならず、自由ヨーロッパやドイツの放送局のために働いていた。マルコフは放送の中でブルガリアの共産党政権を強く非難し、特に、当時のトドル・ジフコフ国家評議会議長の政治を独裁的と厳しく批判した。マルコフの放送はブルガリアにおける反体制派の活動を鼓舞するものとみなされていた。一九七〇年代に、
ジフコフ議長は国家評議会でマルコフのラジオ放送を中止させたいと語ったといわれる。
一九七八年九月七日、マルコフはロンドンのウォータールー・ブリッジのバス停でバスを待っているとき、傘に仕込まれていた毒薬リチンを体内に打ち込まれ、死亡した。四九歳であった。
彼の死について調査した検視官はマルコフは「非合法的に殺害された」と結論付けた。これは、KGBとブルガリアの秘密警察の仕業であると広く信じられてきたが、犯人は不明であった。一九八九年、共産党政権崩壊後、ブルガリア内務省で大量の改造した傘が発見された。
一九八九年晩秋、私はマルコフ関連番組制作のため、英国人の妻アナベル・マルコフ夫人を訪ねた。かつて、BBCのスタッフであったアナベルは、ロンドン南郊クラッパムのミドルクラスの住宅街に、二人の愛娘サーシャと住んでいた。
アナベルは、マルコフが攻撃された九月七日はジフコフ議長の誕生日であり、二日後のブルガリア共産党政権樹立記念日にマルコフが死ぬことが意図されていたが、マルコフは、それよりは少し長く生き、殺害者の意向を挫いたと話した。九月十一日、マルコフは亡くなった。
一九九八年九月、マルコフの死後二〇周年にあたり、当時のブルガリアのストヤノフ大統領は、BBCに対し、マルコフの暗殺は前共産主義政権時代の最も暗い事件であると語った。そして、ストヤノフ元大統領は、ブルガリアの元秘密警察が証拠を隠滅したとしても、ブルガリア当局はこの事件の捜査を続けると述べた。 しかし、マルコフの死に関するファイルは大量に処分され、また、それに関与した人は自殺していた。二〇〇〇年に、ブルガリアでは、この事件の捜査は打ち切られた。
これは、英国の最も有名な未解決の殺人事件であったが、その容疑者が浮かび上がってきた。二〇〇五年五月六日の「サンデータイムズ」によると、ブルガリアの日刊紙(Dnevnik)が、秘密警察のファイルの内容をリークし、マルコフ殺害の容疑者を割り出した。 ソフィア在住のジャーナリストが六年かけた調査で発見した書類によれば、共産党時代、ブルガリア秘密警察がイタリア生まれのデンマーク人エージェントにマルコフ殺害を命じたという。これは、ジフコフ議長が正式に許可した政治的暗殺の一つであった。 このリークを受けて、スコットランドヤードは「入手可能な新しい情報」を調査中であると発表した。
今でも、マルコフはブルガリア人にとっては、前共産党政権を批判する人たちのシンボルであり続けている。
原 麻里子 「BBCワールド・サービス」(『ソフィア』第54巻第2号) 2005年夏季号 pp.213-15 無断転載を禁じます。]]>
エリザベス女王のお茶会
http://chelseacat.exblog.jp/6972869/
2007-06-13T09:06:00+09:00
2007-09-07T15:34:14+09:00
2007-06-13T09:05:01+09:00
anthropologist
BBC
毎年、BBCがよく働いたスタッフを女王様主催のお茶会に推薦します。私は、BBC勤務の最後の年に、BBC日本語部を代表して、バッキンガム宮殿で開かれた女王様主催のお茶会に招待されました。2-3ヶ月前に招待されることが分かったので、東京の母に電話でその話をしました。母は、「女王様のお茶会に招待されたのも、何かのご縁ね」と言いました。お茶会に出席するための服装規定が、アフタヌーン・ドレスかフォークロア・ドレス(民族衣装)ということでしたので、母は自分が16歳の時に.祖父が母のために買った絽の着物を仕立て直して、ロンドンへ持って来ました。
いよいよ当日。私は美容院で髪をセットしてもらい、母が妹を助手に着物を着付けてくれました。サー、出発です。私は着物姿で車を運転し、バッキンガム宮殿へ向かいます。日曜・祭日には、家からBBCへ車で通っていましたが、その際、いつも宮殿の横を通るので、慣れた道ではあります。しかし、流石に、この日はバッキンガム宮殿の近くへ来ると、お茶会に呼ばれた人や、それを見に来た人々の車で、大混雑。私はノロノロ運転をしながら、ウィンドウから警察官に駐車券を見せると、警官はピーピーーと笛を鳴らして、一般車を制して、私の車を通し、敬礼してくれました。私は駐車し宮殿のゲートへ向かいました。
宮殿の門で、儀場兵に迎えられ、宮殿の中へ入って行きました。中に入ると「自然風」を演出した、正に、英国調のお庭にいくつもの大テントが張られていました。いつも、塀の外から見ていたお庭を見るのは、感激でした。
私が招待された日には、エリザベス女王、故皇太后、チャールズ皇太子、故ダイアナ妃が出席。供されたのは、ケーキ、スコーン、紅茶、アイスクリームなどでした。正直に言って、非常に豪勢とか、視覚的にアピールするような食べ物は出されませんでしたが、アイスクリームがとても美味しかったのを覚えています。英国人をはじめ、各国の人たちが、着物姿の私を見て、珍しそうに、親愛を込めて、近づいて、声をかけてくれました。母が意図してくれたことは成功でした。でも、珍しさのあまり、シルクシルクといって、着物を触ってくる人には、閉口しましたけれど。
英国人は、男性はシルクハットにステッキか軍服姿、女性はアフタヌーン・ドレスにひさしの大きな帽子に柄の長いパラソル。私を見送りに来た母と妹はこの英国人たちの姿を喜んで見物していました。英国は人々に名誉を与えることで働かせるのが得意です。
(エリザベス女王の公式誕生日Trooping the colourで見かけた典型的な英国の紳士)
無断転載を禁じます。©原麻里子]]>
BBCワールド・サービスのプロデューサー時代
http://chelseacat.exblog.jp/6972840/
2007-06-13T08:55:00+09:00
2007-08-22T21:28:29+09:00
2007-06-13T08:55:30+09:00
anthropologist
BBC
テレビ朝日でアナウンサーをしていた私の人生は、会社からロンドンへ派遣され、BBCワールド・サービス日本語部のプロデューサーとして働いたことで、大きく変わりました。
英国に赴任したばかりの私には、英国人の社会が実に不可解でした。暇があれば、クロスワードパズルをする人。単なる顔見知りならば、挨拶をしないBBCの同僚達。安い買い物をしたことを自慢にする人たち。廃墟のような家を購入して、20年以上もかけて、自分の手で改装している夫婦。犬を連れたホームレスたち。ここに総てを挙げることが出来ないほど、すべてが物珍しい日々でした。
(ウェールズ、スランゴスレンのミュージック・フェスティバル)
当時の英国では、「英国には3つ自慢できるものがある。それは、英語、BBCワールド・サービス、オックス・ブリッジ(オックスフォード・ケンブリッジ大学)である。」とよく聞きました。英国人は、BBCワールド・サービスが「自由」なマスコミ活動の出来ない国々に向けて、「公正」な報道を短波ラジオで伝える役割に自信を持っていました。ですから、研修では、感情の入らない「公正」な言葉を用いて報道するようにとの指導が行われました。英国人にとって、「公正」であるということは、非常に重要なモラルなのです。その割には、英国には、建前とは裏腹に、人種偏見の見られる番組が多いなというのも私の発見でした。それが、後に、ナショナリズムと映像メディアの研究の布石になりました。
「イングリッシュ・サマー・シリーズ」のグライドボーン・オペラの取材中。
無断転載を禁じます。原 麻里子]]>
BBCの視座から 「メディアは変わるか」 東京新聞
http://chelseacat.exblog.jp/6946068/
2007-06-06T12:35:00+09:00
2007-08-28T18:34:36+09:00
2007-06-06T12:35:07+09:00
anthropologist
BBC
「番組不祥事の防止へ 外部からの人材登用を」
テレビ局の一連の不祥事に関して「東京新聞」のインタビューを受けました。私はBBCワールド・サービスのプロデューサーとして勤務した体験を通した目でインタビューに答えました。
http://ahnchanghyun.blogspot.com/2007/05/blog-post_8185.html
(「英国の働く女性たちシリーズ」 ロンドンの女性バスドライバーのインタビュー)
原 麻里子]]>
BBCワールド・サービス
http://chelseacat.exblog.jp/6946008/
2007-06-06T12:12:00+09:00
2007-08-29T10:36:00+09:00
2007-06-06T12:12:17+09:00
anthropologist
BBC
BBCワールド・サービスは英国の誇り・・・
BBCワールドサービス日本語放送プロデューサーとして勤務した経験を踏まえた、BBCワールド・サービスの社会人類学的分析
HPを作成したら、論文をPDFファイルで掲載します。
(BBC ワールドサービス Studio)
(ダウニング10 首相官邸前で、同僚と)
原 麻里子
慶應義塾大学法学部・上智大学・法政大学非常勤講師、ジャーナリスト、コメンテーター
略歴 東京都出身、女子学院高校から慶應義塾大学文学部(美学美術史学専攻)卒業、
テレビ朝日アナウンサー、英国放送協会(BBC)ワールド・サービス日本語部プロデューサー(在ロンドン)、テレビ朝日報道局ディレクターを務めた後、テレビ朝日を退社。
ケンブリッジ大学大学院考古人類学部社会人類学科へ留学し、論文修士号を取得。
滞英通算約8年間。]]>
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